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    「インターネットの歴史」シリーズ :パート2

     

    Chris J. Preimesberger IT エディター/リポーター/パネルモデレーター

    2023年2月1日
    ばらばらに歩きながらデバイスでつながっている人々

    1993~2019年

    ほとんどの人にとって、インターネットが「身近な存在」になったのは、自動車メーカーが CM の最後に「WWW」から始まる自社の Web サイトを告知するようになった1990年代初めのことです。この時期から、小売業者が「当社の Web サイトにログインしてください」といった表現を使い始め、初期のインターネットユーザーが「オンライン」という言葉を日常的に使用するようになりました。インターネットが主流になり始めたのはこの頃です。しかし、1980年代からオンラインで仕事をこなしていた大学生や研究者などのパワーユーザーにとって、インターネットはすでに当たり前の存在でした。トーマスジェファーソン大学がインターネットの歴史を簡単にまとめた年表は、こちらからご覧いただけます。

    他の主要なトレンドと同じく、デジタルの未来を予見し、来たるべき「スーパー情報ハイウェイ」の基礎を築き始めた人々がいたのは、すでにご説明したとおりです。1980年代後半には、最初のインターネットサービスプロバイダー (ISP) 企業が誕生しました。PSINet 社、UUNET 社、Netcom 社、Portal Software 社といったスタートアップが、地域の研究ネットワークにサービスを提供し、代替ネットワークアクセス、UUCP ベースの電子メール、Usenet News を一般に公開したのです。米国初の商用ダイヤルアップ ISP である The World が事業を開始したのは、1989年のことでした。 

    スタンフォード大学でコンピューターサイエンスの教授として学内ネットワークを構築していた Sandy Lerner 氏と Leonard Bosack 氏は、1984年にサンフランシスコでネットワーク機器メーカーの Cisco Systems 社を設立しました。データストレージハードウェアプロバイダーの EMC 社、Veritas 社、NetApp 社もすべて1980年代後半に事業を始めており、インターネットデータへのアクセスのすそ野が広がりました。1984年には、議会から独占企業とみなされた AT&T 社が7つの地域ベル電話会社 (通称「ベビーベル」) に分割されたことで、コンシューマーが選択できる長距離通話サービスや電話の種類が増え、価格が下がりました。また、ISP が電話回線の使用に関する地域ごとの取引をスムーズに仲介できるようになり、その後のオンラインサービスの登場を促すことになります。

    ユーザーは、IBM 社、Apple 社、Hewlett-Packard 社、Sun Microsystems 社、Silicon Graphics 社といったメーカーが製造したデスクトップやノートパソコンからオンラインサービスにアクセスするようになりました。また、ほとんどのコンピューターで、IBM 社や Microsoft 社のライセンスが付与されたオペレーティングシステムが使われるようになったのです。


    多くの企業は、どのワークロードをクラウドに移行するのか決めかねています。場合によっては、天文学的なクラウドコストのために、ワークロードをオンプレミスに戻さざるを得ないケースもあります。ハイブリッドクラウドアプローチがきわめて重要になっているのはそのためです。
     

    ハイブリッドとマルチクラウドが唯一の手段である理由について、詳細はこちらから

    チャートとグラフが表示されたコンピューターの画面

    主流となるインターネット

    このような動きが起こったにもかかわらず、世界中の人々がインターネットの存在を知り、このグローバルなネットワークを使って、メール、E コマース、ゲーム、銀行取引といった日常的な活動を行うようになるまでには、さらに10年ほど (1995~2005年) の時間を要しました。この間に、インターネットのユーザーが1600万人から8億8800万人に急増しており、その変遷を物語っています。AT&T Labs の調査レポート (PDF) によると、インターネットデータのトラヒックの合計は、1994年には16.3テラバイトほどでしたが、わずか6年後の2000年には2万〜3万5000テラバイトに増えていました。

    インターネットの成長の軌跡は、利用する人々によって異なります。

    • 大学: インターネットの歴史家の多くは、1980年代後半にはインターネットが米国の大学システムで主流になっていたと考えています。研究熱心な大学教授や大学院生は誰もがメールアドレスを持っていたため、他の同僚もメールアドレスを持っていたのです。

      学部生の間でインターネットが主流になったのは、1990年代初めのことでした。Marc Andreessen 氏の Web ブラウザである Mosaic が登場し、1995年に Windows 対応版が公開されたことで、一部の学部生が「ネットサーフィン」を頻繁に行うようになったのです。すべての主要大学でインターネットが一般的に使用されるようになったのは、1994年のことです。

    • シリコンバレー: Netscape 社の最初のブラウザである NCSA Mosaic は、1994年11月にベータ版がリリースされ、1995年2月に販売が開始されました。Mosaic は、1992年後半にイリノイ大学アーバナシャンペーン校の米国スーパーコンピューター応用研究所 (NCSA) で開発されたものです。

      Microsoft 社は、1995年に Mosaic のライセンスを取得し、Internet Explorer を開発しました。Internet Explorer は、いくつかの一般的なオフィスコンピューターや家庭用コンピューターで動作するグラフィカルなブラウザでした。それ以前のブラウザと違って画像とテキストを同じページに表示できたため、技術者ではないユーザーにもマルチメディアコンテンツを提供する最初の製品となりました。Microsoft 社の共同創業者で CEO を務めていた Bill Gates 氏は、1995年4月のある夜に社員から強く勧められていたネットサーフィンを経験し、同年5月に「The Internet Tidal Wave」(押し寄せるインターネットの波) と題するメモを幹部宛てに作成しています。

      ハイテクビジネスやその周辺のセクターで働く人々にとって、インターネットが普及したのはこの年と言えるでしょう。私たちの知っているグローバルなインターネットが登場する舞台が整ったのです。

    • 一般の人々: 「主流になる」とは、大多数の世帯がインターネットを利用するようになることを意味します。あるトレンドが50% 以上の世帯に達すると、ほとんどのアナリストはそのトレンドを主流になったとみなします。

      米国電気通信情報局のデータによれば、インターネットが3分の1の世帯に普及したのは1999年半ば、半数の世帯に普及したのは2001年半ばでした。

      つまり、インターネットは1989年までに研究者の間で、1995年半ばまでにシリコンバレー関係者の間で、そして2001年までに米国のほとんどの家庭で主流となったのです。

    スマートフォンとスマートウォッチを使用している人

    ビジネスでのインターネットの活用方法を変えた Web 2.0

    インターネットの成長は、アメリカ同時多発テロ事件で経済が落ち込んだ数年間 (2001~2003年頃) に減速します。これにより、いわゆるハイテク投資の「バブル」が崩壊し、インターネット関連のイノベーションは一時的に停滞しました。しかし、業界は以前と同じように自らを改革し、VC からの投資が回復しました。いくつかの主要企業 (AWS 社、Salesforce 社、Microsoft 社)が先導したことで、テクノロジーセクターは再び好転し始めたのです。

    インターネットネットワークの「通信機器」を提供する大手 Cisco Systems 社は、世界のインターネットトラヒックとデータに関する統計を1990年から記録しています。同社の報告によれば、Web で送信されたデータ量は、1994年には月間0.02ペタバイトでしたが、2005年には月間2426ペタバイトに増加しました。また、Web 2.0時代の始まりとなった2008年には、月間1万174ペタバイトのデータがインターネットでやり取りされていたといいます。そして2017年には、月間12万2000ペタバイトにまで膨れ上がっていました。

    2000年代初頭に登場した VMware (「仮想マシン」ウェアの略) と Amazon Web Services (Amazon 社の小規模な一部門として始まった AWS) は、どちらもインターネットの成長に貢献しました。VMware は、ユーザーがデータ処理のワークロードを必要な場所に数秒でミラーリングできるようにしたことで、インターネットの成長と発展に欠かせない存在となりました。AWS は、利用者がコンピューティングとデータストレージの機能を、新しいコンピューティング「クラウド」でレンタルできるようにしました。クラウドとは、インターネット経由で他のデータセンターにあるコンピューターを利用し、パソコンやサーバーからアクセスできるようにする仕組みのことです。

    それ以来、データ処理サービスを提供する企業は、ビジネスでのインターネット活用を変革してきました。ビジネスデータと個人データの急増により、すべてのデータを処理できる新しい手段は欠かせないものになっています。Cloudera は2008年、オープンソースやオープンスタンダード、オープンマーケットこそがベストであるという信念に基づいて設立されました。当時は、Web 2.0が軌道に乗り、データ分析がビジネスの成功に欠かせなくなった時代でした。

    「当時、人々はデータレイクを作り、そこからデータを取り込んでは捨てていました。その結果生まれたデータスワンプは、何の価値も得られない場所となり、データを適切な時間と価格で処理できなくなっていました」と、Cloudera で最高戦略責任者を務める Abhas Ricky は述べています。「そこで私たちは、適切な価格で、エンタープライズレベルのデータセットとワークロードを安全かつ有意義に活用できる分散コンピューティングを開発しました。それが、Cloudera を設立した理由です」

    しかし当初は、最も大切な自社のビジネスデータをクラウドに預けるリスクを冒そうという企業は、ほとんどありませんでした。2000年代半ばの時点では、まだまだ実績が足りなかったのです。

    「Cloudera は元々、Yahoo 社の Doug Cutting 氏が開発したオープンソースソフトウェアを、Google 社の出版物をベースにしながら、企業がクラウドで利用できるようにすることを目指して設立されました」と、Cloudera で EMEA 地域担当 CTO を務める Christopher Royles 博士は振り返ります。「しかし、2000年代には、そのようなことをクラウド上でやろうと考えている人はほとんどいませんでした」

    「クラウドが業界で広く採用されるようになったのは、ここ5~10年のことです。次の5〜10年には、企業がワークロードを抱えていること、およびそのワークロードを実行するのに最適な場所があるということが、認識されるようになるでしょう。クラウドだけが答えではなくなるかもしれません」

    これより前、分散処理サービスに最も近いのはアプリケーションサービスプロバイダーでした。しかし、2022年に比べてネットワークチャネルは遅く、ストレージ容量も不十分だったため、ボトルネックが発生するとすぐにデータがバックアップされていました。また、ネットワークテクノロジーも脆弱でした。さらに、ほとんどの先駆的なテクノロジーと同じく、エンタープライズ向けの ASP も問題を抱えていました。例えば、大量のデータがサイロ化したストレージで溢れたり、ストレージソフトウェアで処理できないほどのペースで流れ込んだりすると、システム全体が目詰まりを起こしてシャットダウンしていました。こうしたデータ障害の頻発で納期遅れが次々に発生すると、企業は物理ハードドライブにデータを移動して退避させ、膨大な数のハードドライブを航空貨物や陸上貨物で輸送せざるを得ない状況に陥っていました。

     

    口座の成績の伸びを示す表

    クラウドサービスの急増

    2006年秋、AWS 社がクラウドストレージサービスの先駆けとなる S3 (Simple Storage Service) をリリースしました。これは、クラウドコンピューティングにおける最初の画期的な出来事です。企業はクラウドプロバイダー (AWS はすぐに、Microsoft Azure や Google Cloud などとの厳しい競争に直面することになりました) に登録すれば、業務で使うファイル、画像、データログを保存できるようになり、高価な物理サーバーやストレージアレイが不要になったのです。ほとんどの企業がクラウドのセキュリティを信頼するまでには、さらに10~12年かかりましたが、2019年には最も規制の厳しい金融機関や軍、政府機関でさえ、アプリケーションの管理にクラウドを使用するようになっていました。

    2022年には、スマートフォン、デスクトップ、ノートパソコン、タブレットを使用するすべての人々にとって、クラウドは当たり前の存在になり、事実上すべてのアプリケーションがクラウドベースになりました。

    「過去40年間で、クラウドに匹敵するテクノロジーはないと思います。数十億ドル規模の成長を達成した点から見ても、これほど広く受け入れられたテクノロジーやテクノロジーの改善はほかにありません」と、Abhas 氏は言います。「それだけでなく、クラウドはデータプラクティショナーやビジネスオーナーに力をもたらしています。中央集権的な機能に縛られることなく、自分たちでより適切な意思決定を、よりすばやく、かつコストをかけずに下せるようになりました。これを可能にしたのがクラウドなのです」

    しかし、インターネットが長い間 Web 2.0の段階にとどまることはありませんでした。人工知能、機械学習、エッジコンピューティング、モノのインターネット、メタバースの台頭によって、Web 3.0という新たな段階に突入しています。例えて言うなら、私たちは西部開拓時代のような新たな時代を迎えているのです。

    「過去40年間で、クラウドに匹敵するテクノロジーはないと思います。数十億ドル規模の成長を達成した点から見ても、これほど広く受け入れられたテクノロジーやテクノロジーの改善はほかにありません」と、Abhas 氏は言います。

     

    「それだけでなく、クラウドはデータプラクティショナーやビジネスオーナーに力をもたらしています。中央集権的な機能に縛られることなく、自分たちでより適切な意思決定を、よりすばやく、かつコストをかけずに下せるようになりました。これを可能にしたのがクラウドなのです」

    しかし、インターネットが長い間 Web 2.0の段階にとどまることはありませんでした。人工知能、機械学習、エッジコンピューティング、モノのインターネット、メタバースの台頭によって、Web 3.0という新たな段階に突入しています。例えて言うなら、私たちは西部開拓時代のような新たな時代を迎えているのです。

    近日公開予定の「インターネットの歴史」シリーズのパート3もお見逃しなく
     

    パート3では、Web 3.0、メタバース、およびその先の見通し (2019年以降) についてお話しします。具体的には、オンラインアプリやサービス、5G 接続、3D グラフィックス、自動化、データ管理/プライバシー、そして来たるべきメタバースにおける AI/ML の独創的で新たな利用方法が、あらゆるものを急速に変化させている現状を取り上げる予定です。10~50年後のデジタルライフがどのようなものになるのかについてはさまざまな説がありますが、その中から特に興味深いものをいくつか考察します。

    著者

    著者 Pedro Pereira 氏の写真

    Chris J. Preimesberger

    Chris J. Preimesberger 氏は、カリフォルニア州レッドウッドを拠点に、ジャーナリスト、編集者、研究者として活動しています。以前は、eWeek 誌の編集長として、エンタープライズ IT に関する報道全般を統括していました。2017年と2018年には、分析結果に基づくランキングを公開している調査会社 Richtopia 社から、世界で最も影響力のある250人のビジネスジャーナリスト (65位) に選出されています。

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